シリア・ヨルダン・レバノンは、とにかく古代遺跡が豊富。世界の遺跡に飽きたらこの地を目指せ!というほどに旅行者にたくさんの感動をもたらします。現在は情勢の悪化で「危険」というイメージが強くありますが、状況をしっかり知ってリスクを冒すようなことをしなければ、楽しく安全に、古代にどっぷり浸かれる旅を満喫できます。
歴史好きにはたまらない!有名遺跡多数 ヨルダン
今、ヨルダンの政情は安定しています。そのため、一躍世界中から観光客が詰めかける人気旅行国に。1万年以上前の住居跡や、ギリシア・ローマ・十字軍の時代の遺跡が数多く残っています。ただただ圧倒される広大な砂漠や、ダイバーなら一度は訪れたい紅海、観光客を丁重にもてなす紳士的で親しみやすい人々……ヨルダンは、中東でもっとも旅をしやすい国として人気です。
アンマン
紀元2世紀の頃にはローマの植民都市として、そして現代ではヨルダンの首都として栄えています。2世紀に建てられたローマ劇場では今でもコンサートなどが催され、旧約聖書にも登場する城砦のアンマン城では多数の遺跡が見つかり、近くにはヨルダン全土の発掘品がずらりと並ぶ国立考古学博物館があります。
- アンマン城
- アンマンのダウンタウンを一望できる、ジャバル・アル・カラアの山頂にある石の城跡です。細い尾根や崖に囲まれており、古くから要塞とされていました。ビザンチン時代の教会跡、ウマイヤ時代の離宮の跡などもあります。かつてはローマ劇場まで続く階段がありましたが、現在は門のみが発掘されています。
- 考古学博物館
- アンマン城の中にある歴史博物館です。世界最古の集落といわれるエリコから出土した頭蓋骨や、アイン・ガザル遺跡から出土した、紀元前7000年~4500年の間に作られた、ライムストーンの人形、アンマン城から出土したアンモン王の像などが展示されています。中でも死海西岸のクムランから出土した死海文書は必見です。
- ローマ劇場
- ローマ皇帝のアントニウス・ピウスの治世に建てられた、ヨルダン国内最大の劇場です。33列、6000人が収容できる劇場で、ステージの両脇にはヨルダン伝統文化博物館とヨルダン民族博物館が併設されています。
- ワヒダットキャンプ
- 中東戦争でパレスチナから逃れた難民が住みついたキャンプです。ダウンタウンの南のアシラフィーエの丘にあり、ワビダットキャンプでは約5万人が難民登録されています。キャンプの路地は屋根付きのアーケードに変わり、土曜日には郊外から多くの買い物客が訪れます。
ジェラッシュ
アンマンの北、50kmにあるジェラッシュはローマ人がアラブに造ったローマ都市の中でも最も華麗で、荘大な遺跡の1つです。2000年前に造られた石の都市は当時とそれほど変わらない姿を残しています。
- 凱旋門
- 凱旋門は129年に時の皇帝、ハドリアヌスが訪れたのを記念して建てられました。凱旋門を奥に進むとマリアノス教会があり、その向いには、長さ245m、幅52mある、競馬場があります。当時は1万5000人もの観衆を収容し、戦闘用馬車の競争などが行われていました。
- 南門
- 遺跡のメインゲートで、アカンサス(ハアザミ)の葉の彫刻が施されています。門の前にはビジターセンターがあり、十都市同盟についての解説もされています。かつて門の前のスペースは市場として使われていました。
- ゼウス神殿
- 入口の左側にはゼウス神殿があります。現在残っているのは2世紀に造られたもので、もとの神殿はヘレニズム時代に建てられました。
- 南劇場
- ゼウス神殿の隣には、南劇場があります。3000人を収容した劇場がほぼ完全な状態で保存されています。太陽の光の影響を少なくするため、舞台が北側を向いています。
- フォーラム
- 南劇場の上部から見えるのがフォーラムです。卵型の広場で、イオニア式の列柱に囲まれており、市場か宗教的儀式に使用されていたようです。
- 列柱回廊
- フォーラムから北門までの約600mにわたって、石畳の道の両側に円柱が続く、列柱回廊があります。この回廊の中ほどには4世紀に建てられた、ナバタイ人の神殿が基になっている大聖堂があります。
- アルテミス神殿
- ひときわ背の高い12本の柱が林立している建物がアルテミス神殿です。女神アルテミスに捧げられたこの神殿は、12世紀にアラブ軍と戦った十字軍によって一部破壊されてしましました。
- 西浴場
- 今では浴場という面影はありませんが、2世紀に造られたものとされており、当時の技術の高さを感じさせてくれます。
ペトラ
2000年以上も前から、アラビア半島からやってきた遊牧民のナバタイ人やベドウィンによって栄えた中継都市で、長い間、外の人間には知られないように隠され、守られてきました。遺跡に入ると岩をくり抜いて造った多くの建造群に圧倒されます。その岩肌は様々な色をしており、特に朝と夕方には幻想的な赤に染まります。
- ワディ・ムーサ
- ペトラ遺跡の東側にある町です。遺跡を訪れる観光客のほとんどがこの町を拠点にしています。遺跡までは3km、車で5分ほどで、ホテルや商店、銀行なども集まっています。
また、モーゼが岩を杖で叩くと水が湧き出たという話の舞台とされている、「アイン・ムーサ(モーゼの泉)」と呼ばれている白い3つのドームを持つモスクのような建物がります。
- シーク
- ペトラ遺跡の入口から続く1,5kmの砂利道で、シークとは狭い岩の裂目の事です。この狭く細い道を30分ほど歩くと、突然視界が開け、エル・ハズネと呼ばれている宝物殿に至ります。途中には高さ60~100mの崖が頭上に迫り出し、4つのオベリスクをもつ岩窟墓や、ナバタイ人が信仰してきた神を表現した霊石、かつての水路跡の土管なども見られます。
- エル・ハズネ(薔薇色の宝物殿)
- 紀元前1~2世紀の、崖を削り、彫り抜かれた、神殿風正面をもつ霊朝で、映画「インディージョンズ/最後の聖戦」の舞台ともなった場所です。建物の一番上にある壺の中に宝物があると信じられていることから、宝物殿と呼ばれています。
- ローマ劇場
- エル・ハズネを通り過ぎ、ファサードと呼ばれる通りには、岩をくり抜いた建物が並んでいます。建物の上部には階段状の模様があり、ナバタイ人はこの階段を死者が登って天国に行くと信じていました。その先には2~3世紀に建てられた5000人以上収容できるローマ劇場があります。
- 王家の墓
- ローマ劇場の隣には、王家の墓と呼ばれている岩窟墓群があります。岩をくり抜いた建物で、4つ並んで立っています。最大のものは、宮殿の墓と呼ばれているもので、ローマ帝政期宮殿建築を模倣しており、コリント式の柱が使われています。
- 犠牲祭壇
- ローマ劇場の手前にある細い階段を30分ほど登ると、頂上には犠牲祭壇があります。ここからはペトラの都市跡や、ワディ・ムーサの景色が一望できます。死者の記念碑や顔を浮き彫りにした霊石や祭壇、オベリスク、住居跡なども残っています。
- ライオンのモニュメント
- 犠牲祭壇下のカフェの前から階段を下ると、途中にあるのがライオン・モニュメントです。これは犠牲祭壇の山に降った雨を下の墓庭の横にあるダムへと流す道になっています。
- 列柱・凱旋門
- ペトラ遺跡の中央に位置しているのが、幅6mという大きさの柱がある柱廊通りです。551年の大地震まではこの通りを囲んで多くの遺跡が残っていました。柱廊の最後には比較的、保存状態の良い、凱旋門が残っています。
- エド・ディル
- 1世紀の中頃に建てられたナバタイ人の神殿です。高さ45m、幅50mと、エル・ハズネよりも大きい建物です。ディルとは修道院という意味で、かつてはこの辺りに修道士が住んでいたことからこの名前が付いています。
- ジャバル・ハルーン
- ジャバル・アルーンにはモーゼの兄、アロンの墓があります。頂上からの眺めはとても良いのですが、ここに行くにはガイドが必要で、約6時間ほどかかります。
スモール・ペトラ
ペトラ遺跡とは別に、スモール・ペトラと呼ばれている遺跡群があります。数多くの岩窟住居跡があり、遺跡群の中には巨大な貯水槽が掘られた跡があります。
ショーバック
エルサレムの十字軍が初めてヨルダン側に進出し、築いた城です。渓谷に囲まれた丘に建つ城で、アンマンからワディ・ムーサへ向かう途中にあります。壁の一部にはサラディーンによるアラビア語の碑文が残っています。
ワディラム
ヨルダンの南部、アカバやサウジアラビアの国境にもほど近い砂漠にあります。第一次世界大戦時のイギリス人将校、ロレンスがベドウィンたちを統率してトルコ軍との戦いを描いた映画「アラビアのロレンス」の舞台ともなった地域です。別名「月の谷」と呼ばれているように、赤く細かい砂の大地の中に武骨で荒々しい岩山があちこちに立っています。
ワディラムではワイルドなジープサファリや、キャメルサファリ、キャンプ泊を楽しむことができます。
- 七つの知恵の柱
- ワディ・ラムのビジターセンターの手前に見える大きな岩山で、ロレンスの最初の著書の題名となったことで知られています。
- ナバティアン寺院
- 1世紀に建てられた寺院で、ビジターセンターから5kmほど南にあるラム村にあります。ラム村にはレストハウスや格安でテントに泊まる事もできます。
- ロレンスの泉
- ラム村から先は本格的な砂漠です。時折ジープが通る以外は人の気配すらなくなりますので、必ずガイドと一緒に行動して下さい。村から1kmほど入るとロレンスの泉があり、崖の中腹から水が湧き出ています。
- カザリ山峡
- ロレンスの泉から3kmほど南にあり、ナバダイ人の碑文が描かれています。
- 石の橋
- カザリ山峡の東には2つの石の橋があります。ウンム・フルースの橋には簡単に登れますが、もう1つのジャバル・ブルダァの橋は裏から1時間ほどかけなくては登れません。
アカバ
ヨルダンの中でもひときわ外国人の観光客が多く、ヨルダン人でもレジャーといえば、アカバというほどの人気スポットです。ヨルダンで唯一外海に接しており、リンカやカリウムなどの数少ない輸出品を積み出し、生活物資を輸入する港として重要性があります。また、アカバ湾は紅海とつながっており、冬でも20℃を下らない温暖な気候と美しい珊瑚礁で、ダイバーの憧れの地としても有名です。産業と観光が組み合わさり、開放的な港町です。
- イーラ
- イスラム朝初期の都市跡です。アカバの最盛期である7~10世紀頃、アラブ人はアカバをイーラと呼んでいました。壁や柱、アーチ、水道の跡などがあります。
- アカバ要塞
- マムルーク朝の君主によって建てられた要塞で、内部の壁にはアラベスク模様やアラビア語の彫刻が残されています。正面入り口の紋章は第1次世界大戦中、イギリス・アラブ軍がトルコ軍を追放した後、王家によってかけられました。
- 水族館
- 紅海に生息するカラフルな熱帯魚や珍しい海中生物が見られます。
- ファラオ・アイランド
- エジプト領、タバの南、6kmにある小島で、青銅器時代の住居の形跡と、十字軍とイスラムとの攻防から生まれた最南端の城、サラディーン城があります。
マダバ
アンマンの南、30kmのところにある町です。モーゼの終焉の地とされているネボ山や、キリスト教に関する場所も多く、洗礼者ヨハネが活動した場所で、イエスも洗礼を受けたのではないかとされるバプティズム・サイトや、そのヨハネが首をはねられたと伝えられる、ムカーウィルの丘などもあります。
- 聖ジョージ教会
- ギリシャ正教の教会です。床には200万ピース以上のタイルで描かれた、パレスチナのモザイク地図がります。ナイル川や死海、カクラやハママートマイン温泉なども見られます。エルサレム市街地には聖墳墓教会がひときわ大きく描かれています。
- 処女教会
- 6世紀に建てられた教会で、石畳のローマン・ロードや、他のサイトからのモザイクも展示されています。マダバ最初に発見されたモザイクもこの処女教会で使われていたものでした。
- 12使途教会
- 巨大な建物の床一面にモザイクが残っています。マダバ・モザイクの特徴である、ワインや、フルーツ、アカンサズなどの植物系のモチーフになっています。
ネボ山
マダバの西10kmにある、死海とパレスチナを見下ろす山です。モーゼ終焉の地と伝えられています。モーゼは率いてきた民に「あれが約束の地だ」という、あの有名な言葉で、パレスチナに向かうように促し、自身は山上からそれを見守っていたといわれています。
- フランシスコ修道会の教会
- モーゼを記念し、4世紀に建てられた教会の遺構が残っている教会です。
ムカーウィル
ヘロデ大王が紀元前1世紀に築いた、不自然な円錐形をした城塞です。大王の息子、ヘロデ・アンティパスは、ここに洗礼者ヨハネを投獄したといわれています。ある夜、ヘロデの妻の子で、美女と評判のサロメが彼の前で踊りました。あまりの見事さに、ヘロデがどんな褒美でも与えると言ったところ、日ごろヨハネを快く思っていなかった母に入れ知恵された彼女は、ヨハネの首を望を所望、ヘロデは彼の首を差し出したという、有名な話が伝えられています。
ウンムアル・ササース
マダバの南東、30kmのところにある遺跡です。村がまるごと崩れ落ち、廃墟になっていますが、そこにある8世紀に建てられた、スティーブン教会には床一面にモザイクが描かれております。マダバばかりではなく、ガザやアスカロンなどの周辺の町が描かれおり、必見です。
ワディ・ムシブ
デザートハイウエイから死海へと流れ込む渓谷で、アイベックスなどの野生動物の宝庫です。マダバ側にある展望台からは大パノラマが広がっています。下流の死海沿岸には王立自然保護協会のビジターセンターがあり、沢登りのトレッキングなども楽しめます。
ケラク
キングス・ハイウェイの中ほどの死海へと下る道路が分岐する所にある町です。周辺はモアブ王国のころから栄えており、特に十字軍とイスラム側との攻防で歴史に名を残しています。12世紀前半、ヨルダン側に進出した十字軍によって城塞都市の建設がはじまり、1161年に完成しました。
- ケラク城
- 北堀を渡って入場し、階段を上ると、アーチ型のホール入口があります。北壁には屋を射るための縦長の口が開いています。ホールを出たところには2世紀頃のナバタイ人の胸像はめ込まれています。他にもローマ時代の飾りのある円柱などが建築材として転用されています。その先にある廊下を出ると、十字軍の教会跡があり、そこからは、マムルーク時代に改築されたエリアとなります。本丸からはカラクの町が一望でき、地下にはモスクや学校、宮殿に使われた部屋が残っています。博物館もあり、カラクを中心とした周辺の歴史が分かります。
死海
イスラエルと2分して両国に接している死海は、地球上で最も低い海抜マイナス410mにあります。塩分濃度がとても高く、生物が住めない湖として有名です。
アジュルン
アンマンから北西へ73km、ヨルダン川からほど近く、松やオリーブの林に囲まれた小さな町です。水源に恵まれ、イチジクやザクロなどが豊富に実ります。
- カラート・アル・ラバド
- アジュルンの山の頂上に建つ城です。もともとは十字軍に備えてサラディーンの甥が1184~85年にかけて建てた要塞でした。城の屋上に上がると、360度の視界が開け、軍事拠点としてはぴったりの立地だったことが理解できます。城の中には近くの遺跡からの出土品を展示した博物館もあります。
アズラック
ヨルダン東部、アンマンから103kmのところにある、砂漠の中の町です。サウジアラビア、イラクとの経由地となっており、近隣諸国から来た人々が多く、他のヨルダンの他の都市とは違った空気が流れています。
- アズラック城
- 3世紀頃のローマ時代に、要塞として建てられた城です。近辺で採れる黒玄武岩が使われており、一辺50mの長方形で各角に長方形の塔が建っています。正面の扉を開けて入った玄関の壁には、ギリシア、ラテン文字が残っており、その上に、アラビアのロレンスがアラブ革命時の戦略基地として1917年に住んでいた部屋があります。部屋の空間を広くとれる、「持ち送り」といわれる建築手法が用いられた、住居、倉庫、馬小屋なども見ら
れます。
- 湿地帯
- ヨルダン東部で唯一のオアシスで、かつては多くの渡り鳥や水牛なども見られましたが、近年は多くの水が吸い上げられ、沼地が激減しています。現在、給水によってこの湿地帯を復活させる計画があります。
- アムラ城
- ユネスコ世界遺産にも登録されている城で、砂漠の中で最も美しい城です。8世紀に建てられ、隊商宿として使われていたようです。入口から入って最初の部屋の壁と天井には、裸婦の入浴姿や、カリフの敵でもあった歴代6人の統治者が描かれています。一番奥は浴室、サウナで、ドームに描かれた北半球の天体、星座図がとても鮮やかです。
- ハラナ城
- 砂漠の城の中で、一番保存状態の良いのが、ハラナ城です。1辺35mの壁をもつ長方形で角は円塔になっています。十字軍の要塞や、カリフの休憩所などの説がありますが、現在は隊商宿であったというのが有力です。ローマ時代、もしくはギリシア時代の遺跡の上に建てられたといわれています。入口の両脇は馬小屋、2階にもいくつか部屋があり、一部装飾が残されています。屋上からは城の全体と周囲を見渡すことができます。
- ムシャッタ城
- この城は付近では一般的ではない、焼きレンガでできています。夕暮れ時にはレンガが赤く染まり、とても美しい姿となります。1辺約144mの低い壁に囲まれ、中に城と石柱が広がっています。理由は分かっていませんが、8世紀に建てられて、完成する事なく打つ捨てられた城です。国際空港の近くにある事から、警備が厳しく、歩いては行けず、車でも何度かのチェックポイントを通らなくてはならいので、注意が必要です。
- ハラバート城
- カラカラ帝統治時代の要塞で、7世紀には修道院となり、その後、ウマヤイ朝によってギリシア・ローマ時代の装飾が壊され、イスラム様式の要塞、宮殿に修築されました。小高い丘の上にあり、砂漠と村が360℃のパノラマで見渡せます。周辺には集会所、貯水池、浴場の跡などが残っています。
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のんびり素朴な人たちに癒される シリア
シリアは農業や数々の建築技術、宗教など、世界中の文化に強い影響を与えてきました。そのため遺跡が非常に多くあります。そして魅力的なのがシリアの人々。とてもホスピタリティーの高い心を持っているので、行く先々であなたの旅を優しくサポートしてくれるはずです。
- 旧市街
- シリアの首都・ダマスカスは、世界最古都市のひとつ。紀元前2000年頃から交易の中継地として栄えました。エジプトのアイユーブ朝を興した英雄サラディーンが眠るサラディーン廟、8世紀に建てられ、現存する世界最古のモスク・ウマイヤモスク。街中にぎゅっと凝縮された歴史的建築物の数々が、あなたの好奇心を満たしてくれるでしょう。
- 金銀細工・絨毯・民芸品など、たくさんのお店が並ぶスーク(ダマスカスに3つ)は、歩いてお店を眺めるだけでも最高に楽しい場所です。
- カシオン山
- ダマスカスの街から車で約20分のところにあるカシオン山は、街を一望できる絶景スポット。天気がよければ、アラビア南部の砂漠やアンチ・レバノン山脈にも出会えます。
ダマスカス
旧約聖書が書かれた時代から現在に至るまで存在する最古の都市のひとつです。紀元前2000年からメソポタミア、地中海地方、アラビア半島を結ぶ交易の中継地としての役割を果たし、1946年にシリアの首都となるまで4000年の間、激動の歴史を繰り返してきました。現在は200万人の人口を有する大都市で、市街地の中心部にはビルが立ち並び、郊外への道に沿って住宅が続いている。これに対して旧市街には巨大なスークとイスラム教第4の聖地であるウマイヤド・モスクなどの見どころがあり、今なお悠久の歴史を刻む、ダマスカスならではの時間が流れています。
- ウマイヤドモスク
- イスラム教第4の聖地ので、ウマヤイ朝時代の、715年に建てられた世界でも指折りの歴史を持つモスクです。紀元前2000年には既に聖域とみなされていた地域で、洗礼者ヨハネ教会を改築して建てられました。現在でも聖ヨハネの首が納められているといわれる神殿があります。
- アゼム宮殿
- 1749年にダマスカスの統治者であったアッサード・パシャ・アル・アゼムによって建てられた邸宅で、現在は民族博物館として公開されています。アラブの寺子屋やメッカの巡礼の様子を再現したもの、寄木細工の楽器、シリアの工芸品など様々な展示がされています。
- 聖アナニアス教会
- ダマスカスで最初のキリスト教士教です。新約聖書では失明したサウロに洗礼を受け、彼の改宗を促したとされている人物です。地下には礼拝堂があり、サウロから改名したパウロの生涯を30枚の絵で解説しています。
- ヒジャーズ駅
- 1917年のオスマン帝国時代に造られた駅で、内部の天井や、壁にとても美しい装飾が施されています。実際に列車は乗り入れてはいませんが、窓口で切符を購入することができます。
- カシオン山
- この世で最初の殺人が起こった山として、聖所に記されています。現在は公園や、高層住宅、軍事基地となっています。夜にはダマガスカスの夜景が一望でき、地元の人々でいっぱいになります。
- 国立博物館
- 世界最古といわれているウガリットのアルファベットが彫られている粘土板、ユーフラテス川沿岸のマリから出土した土器やアクセサリーなど、シリア国中から発掘された出土品が展示されています。また、ドゥラ・エウロポスのシナゴークから移設された壁画や、パルミラで発見された地下墳墓を原寸大に再現したもの、古典的なイスラム建築の展示など、出土品以外にも、見応えのある施設です。
- スーク(市場)
- ダマスカスの最大の見どころの1つが、このスークです。旧市街のそれぞれの路地ごとに特色の違うスークが形成されており、アクセサリー、絨毯、民族衣装、飲食店などが立ち並んでいます。中でも最もにぎわっているスークは、城塞の横のスーク・ハミディーエで、アーケードで覆われたスークが、およそ600m続いています。
パルミラ
ダマスカスの北東、約23おkmの砂漠のオアシスにパルミラ遺跡群はあります。世界でも有数の巨大な規模を誇り、1980年にはユネスコ世界遺産に登録されました。シリアの代表的な観光名所です。
- 記念門
- 大統領広場から20分ほど歩いたところにある、パルミラ遺跡群の入口です。観光客用のラクダもいます。
- ベル神殿
- 1世紀から2世紀半ばにかけて建てられた神殿です。列柱で囲まれた広い基壇の中央に、さらに列柱で囲まれた本殿や犠牲祭壇があります。本殿は主神ベル、太陽神ヤヒボール、月神アグリボールの3神に捧げられていました。
- 四面門
- 列柱道路の中央に4本の石柱によって構成されている四面門があります。この門は夕日を浴びると赤みがさらに増し、この上なく美しい姿となります。
- 墓の谷
- 遺跡の西側に広がる谷は墓の谷と呼ばれています。数多くの墓が残されていますが、特に、ナボ神殿の建設に寄進をしたことで知られているエラベール家の墓と、非常に美しい壁画で有名な3兄弟の墓は必見です。また、高さ150mの岩山にそびえるアラブ城も時間があれば訪れたいスポットです。
ボスラ
ヨルダンの国境町、ダラーから東に40kmほどのところにある町です。紀元前1世紀から、ペトラを首都とするナバタイ王国の北の拠点として成長し、106年にローマの統治下に入るとアラビア属州の州都となり、デカポリスの一員として繁栄しました。
- ローマ劇場
- 2世紀後半に造られた、幅102mの劇場で、37段の客席に6000人の着席と3000人の立席がありました。アイユーブ朝時代にはこの劇場をすっぽりと囲んで城塞としていました。
クラック・デ・シュバリエ
1144年に移り住んだ、聖ヨハネ騎士団が、標高約650mの丘の上に建つこの城を城塞として、本拠地となりました。外壁には7つの塔が建ち、内部の建築物はゴシック様式で、ホールや礼拝堂、そして、長期のろう城に備えた広大な食糧貯蔵庫も設けられていました。当時の建築技術の粋が集まり、中世のヨーロッパにも影響を与えました。ホムスとタルトゥースの中間にあるこの城はシリア観光には欠かせないスポットです。
アレッポ
ダマスカスに次いでシリア第2の都市です。人口は170万人。アレッポとはアラビア語名をハラブ(乳)といい、アブラハムが乳をしぼって人々に恵んだ地とのいい伝えに由来しており、とても長い歴史をもつ町です。紀元前2000年にはアラム人の王国、ヤムハドの首都として繁栄し、紀元前2400年頃には、メソポタミアのシュメールやエジプトと交易をおこなう王国が成立していたといわれています。以後、アレッポは東西と南北を結ぶ十字路にある交易の要所として歴史を刻んできました。
- アレッポ城
- 紀元前10世紀に天然の丘を利用して建てられた、ネオ・ヒッタイト人の神殿で、その後、12世紀に十字軍が侵略してきた時代に要塞化されました。深さ22mの堀に囲まれ、周囲は約2,5kmの巨大な要塞です。城の入口の門はカミソリの刃1枚も入らないほどの見事な石組と、均等のとれた美しさです。内部にはいくつかのモスクや、素晴らしい内装の宮殿も保存されています。また、ギリシア時代のレリーフ、オスマン帝国軍の大砲などが展示されている城内博物館もあります。
- 大モスク
- ウマイヤド・モスクと同時期の715年に、ワリード1世によって建てられました。元はキリスト教の教会であったものがモスクに転用され、後にこのモスクの建築様式は他のモスクのお手本となったとも言われています。このモスクは異教徒にも開放されています。
- キャラバンサライ(隊商宿)
- 16世紀頃、ヨーロッパの隊商が利用したのが始まりで、交易事務所としても使用されました。城に近いスークの東側に集中していますが、代表的なのは17世紀に造られたアル・ワジルと呼ばれているもので、白黒の石の鮮やかなデザインでできています。
- キリスト教地区
- アル・カンダク通りとアル・タル通りの交差点から北東の狭い地域がジャディデと呼ばれるキリスト教徒地区です。ヨーロッパを思わせるアルメニア人街で、ここにはギリシア・カトリック、ギリシア正教、アルメニア正教などの教会があります。
- 国立博物館
- アレッポの中心部にあり、ダマスカスの博物館に劣らない充実した博物館です。入口の像が印象的ですが、これはテル・ハラフで発掘された紀元前9世紀の像の複製です。マリ王の彫像やサガリットで出土した粘土板、イスラム時代の刀や鉄砲なども展示されており、遺跡とあわせて見学すればさらに理解が深まります。
- スーク
- 城と並び、アレッポ最大の見どころがスークです。1kmほどのメインストリート、それに並行して細かな路地が無数に走っています。アクセサリーや、布地、香辛料、野菜など生活に必要なもの一式が売られています。
ハマ
オロンテス川の中流に位置するハマは、昔から川の水を利用した農業が盛んな町です。ダマスカスとアレッポの中間にあり、静かで、落ち着いた町で、定評のある宿が揃い、交通の要衝や遺跡の見どころからも近いことから、シリア観光の拠点として滞在する旅行者も多くいます。
- 水車
- ハマの1番の魅力は水車です。ほとんどが木製の水車で、最大のものは城塞の西側にある、アル・モハンメディーエという名前の水車で、直径は20m以上もあります。これらの水車はビザンチン時代にはすでに回っていたとされており、農業の発展に大きな貢献をしてきました。
- アゼム宮殿
- 旧市街の美しい路地と一体になった宮殿です。18世紀の初めにハマを統治したアサド・パシャ・アル・アゼムの住まいです。
- 城塞
- 町のどこからでも見える小高い山が、かつての要塞です。今では夏草に覆われてほとんどその痕跡はありませんが、ギリシア正教会の跡からモザイクが発見され、現在でも発掘作業が進められています。
- 大モスク
- ダマスカスのモスクと同様に、キリスト教の教会がイスラム教のモスクに転用されたものです。1982年に爆撃で、ほぼ完全に破壊されましたが、そこから復興した歴史的なモスクです。
マァルーラ
アンチ・レバノン山脈の岩山の渓谷にひっそりとある町です。住人は5000人ほどで、大半がギリシア・カトリック教徒であることで有名です。岩山の斜面に建てられた家々の壁が、水色や黄色で塗られており、シリアでは珍しい、とてもカラフルで美しい街並みです。
- 聖テクラ修道院
- 伝説の殉教者である、聖女テクラを記念して建てられたギリシア正教の修道院です。修道院の上にある洞窟にはテクラの墓があり、岩山から流れてくる水は聖水として尊ばれています。
- 聖セルジウス修道院
- 丘の上に立つ、ギリシア・カトリックの修道院です。もとはゼウス神殿であった場所に建てられた教会で、世界で最も古い教会といわれています。祭壇などにはかつての神殿の一部が利用されており、7cmの厚さのある半円形の大理石で造られた祭壇や、最後の晩餐を描いた13世紀のイコンなどが飾られています。
アパメア
アレクサンダー大王亡き後のシリアを治めた、セレウコス1世により、紀元前3世紀の初めに建てられた街です。紀元前63年にローマのポンペイウスによってセレウコス朝が倒されると、ローマ風の劇場や、浴場、神殿などが次々と建てられ、2世紀には最盛期を迎えました。ビザンチン時代にも司教座となるなど、繁栄しましたが、6~7世紀にかけてのペルシャの侵略と地震によって衰退していきました。遺跡以外にもローマ劇場、ゼウス神殿、バッカス門、ムディーク城など見どころ満載です。
- 遺跡
- この遺跡の最大の見どころは、1850m、シリア諸都市での最長を誇る列柱通りです。マルクス・アウレリウス帝の治世に建設されたメインストリートは溝が斜めに切られた列柱が特徴で、通りの途中にはバッカスを祀った屋根付きの柱廊がそびえ立ちます。世界で最も美しい列柱通りとも言われています。
- モザイク博物館
- アパメア遺跡から出土されたモザイクが展示されている博物館です。4~5世紀の動物狩りの様子を描いたモザイク、ローマ時代の鷲の像、見事な彫刻が施されたローマ軍人の石棺などがあり、その大きさには圧倒されます。
ラタキア
シリア最大の港町で、外国との文化を交換する窓口となってきた町です。人々は新しい文化に対して寛容で、深夜までにぎわうイタリアンレストランやカフェが立ち並び、開放感のある雰囲気が漂っています。
- サラディーン城
- ラタキアの東25km、三方を急な谷に囲まれた、自然の地形を利用した要塞の尾根に建つ城です。1187年のハッティンの戦いの後もイスラム側の拠点となったこの城は、戦いの英雄、サラディーンを称えて「サラディーン城」と呼ばれるようになりました。
- ウガリット
- 紀元前3000年頃には成立していたとみられている都市国家の遺跡です。世界で最も古い都市のひとつとして、レバノンのビブロスと双壁をなしています。この遺跡で有名なのは、紀元前12~13世紀に書かれた文字で、アルファベットの原型となったとされるウガリット文字を生み出したとされています。
タルトゥース
地中海に面しており、フェニキア時代には交易の拠点として栄え、十字軍の時代にはキリスト教徒にとって重要と街となりました。近郊には歴史を物語る遺跡や城(マルカブ城・アルエアード城)が数多く残っています。また、シリアで唯一の島、アルワード島はアラキタよりも庶民的なリゾートとして、にぎわいを見せます。
- 旧市街とタルトゥース博物館
- 現在の博物館は1188年のサラディーンの攻撃の後に改修されたものですが、もとはビサンチン時代に十字軍が改築した聖マリア教会をした建物です。内部は左右に側廊を持つ教会建築で、アムリットから出土された石像や、アラキタから出土した天使の彫刻が施された石棺などが展示されています。
博物館の北側には堀と城壁に囲まれた旧市街があります。十字軍の時代には全体が二重の壁に囲まれた城塞でしたが、現在はほとんど存在していません。北東の角にはゲートが、海岸に出ると本丸だった建物が多目的ホールとして生まれ変わって残っています。
- アムリット
- アルワード島のフェニキア人にとって信仰の中心であった場所の遺跡です。かつては水を張ったプールに囲まれていた神殿は紀元前6世紀に建てられ、メルカトとエヒモンが祀られていました。神殿の南側には紀元前4世紀に建てられた1対の円柱形の塔があり、根元には地下室への階段があります。神殿にはエジプトの神のエヒモンが祀られ、塔の4隅にはペルシャで良く見られるライオンの像が彫られているなど、フェニキア人の信仰がかいまみられます。
- サフィータ
- 標高380mの尾根に広がるサフィータは、赤い屋根の街並みが特徴的な、シリアでも最も美しい街のひとつです。頂上には高さ27mの壁を持つ十字軍の城塞があり、現在もギリシア正教の教会として使われています。
- マルカブ城
- 海岸に沿って細長く延びる平地を望む丘に建つ城です。ムスリムによって建てられましたが、1098年に十字軍に制圧され、その後は十字軍の救護院として十字軍の一大拠点となりました。城の南側の教会やホールにはシンメトリーを多用した12世紀後半の様式美が見られ、白いモルタルを挟んだ黒玄武岩が青空にとても映えています。
デリゾール
シリアの砂漠地帯流れるユーフラテス川と、パルミラからカミシリへと抜ける幹線道路が交差する所にある街です。おおらかでゆったりとした時の流れを醸し出している大河と、大学があり、外国人に英語で話しかける学生も多く、保守的な砂漠地帯とは違った雰囲気があります。
- 国立博物館
- シリアの博物館にしては珍しいジオラマを使う博物館で、マリやドゥラなど、ユーフラテス川とその支流のハブール川沿いの遺跡からの出土品が展示されています。
- カラート・ラハバ
- 13世紀にマムルーク朝によって建てられた、石と日干レンガで造られた城です。人口の丘の上にそびえる城の西側は深い堀になっています。レンガの城塞や塔は時間の経過とともに土に返りつつあり、すでに全体の3分の1は倒壊しています。
マリ
ソポタミア文明の中心の地であったのがマリです。紀元前4000年頃から栄え、紀元前1759年にバビロニアのハンムラビ王によって破壊されました。紀元前18世紀の支配者ジムリ・リムによって建てられた宮殿が発掘され、日干レンガで迷路のように張り巡らされた通路の構造が見られます。また、紀元前19~18世紀のバビロニア朝時代の人名や、都市、風俗、習慣などが記録されたマリ文書が、聖書に描かれた世界と類似していることで、注目を浴びました。
フェニキアの風に吹かれて佇みたい レバノン
セム語で「白い山の色」という意味を持つレバノンは、まさに“白い国”。冬は山々が雪で覆われ、夏は石灰岩の斜面が白く光ります。温暖で過ごしやすい気候、豊かな国土として、古くから繁栄していました。内戦による治安悪化が懸念されますが、南部以外はたくさんの観光客が訪れるようになっています。フェニキア、ギリシア、ローマなど各時代の遺跡が目白押しで、文化や宗教の息吹を肌で感じることができます。
- ベイルート
- レバノンの首都であるベイルートは、「中東のパリ」と呼ばれたほどにヨーロッパの雰囲気が感じられます。街の観光シンボルである鳩の岩やベイルート国立博物館が有名です。特にベイルート国立博物館はぜひ訪れたい場所。レバノン全土から集められた、古代王の石棺やブロンズ像などの歴史的収蔵品が1,000点以上もあるのです。
- トリポリ
- ベイルートに次ぐ第二の都市・トリポリは、古代フェニキア時代には地中海交易の中心でした。街には、13世紀のマルムーク朝時代のモスクやハマムなどの建物が多数残っています。十字軍の要塞であるセント・ジル要塞もあって見学できるようになっています。スークは毎日買い物客でにぎわっていて、少し歩けば心がウキウキと弾むこと間違いありません。
- ビブロス(世界遺産)
- 紀元前3000年、古代フェニキアが生まれたビブロスでは、アルファベットの起源であるフェニキア文字が作られました。今でもフェニキア時代の神殿、住居跡、砦などたくさんの遺跡が残ります。フェニキアはローマ帝国によって衰退に追いやられますが、その面影は現代に生きる私たちでも十分に感じ取ることができます。
ベイルート
かつては地中海リゾートとして有名で、「中東のパリ」と呼ばれていました。1975年に宗教上の対立や中東紛争の影響から内戦が勃発し、街がイスラム教地区(西側)とキリスト教地区(東側)に分裂して激しい戦闘が繰り広げられ、街の半分以上が瓦礫と化しました。
1991年の内戦終結以後、街は徐々に復興してきており、繁華街なども往時の賑わいを取り戻してきていますが、グリーンライン(東西の分割線)だった市中心部のダマスカス街道沿いなど、街のところどころに砲弾で蜂の巣状にされた建物がまだ残されたままとなっています。
- 国立博物館
- レバノン中の遺跡で出土した1300点以上もの考古遺物が展示されており、中東でも指折りの博物館です。1919年に開館し、2階建の1階には、ヘレニズム、ローマ時代の美しい石棺や、フェニキア文字が彫られた、ビプロスのアヒラム王の石棺などが展示されています。2階には、年代順に展示がされており、中でもビブロスから出土した青銅の兵士像は必見です。
- ダウンタウン(旧市街)
- 一時は内戦によってゴーストタウン化していましたが、近年ではエトワール広場を中心に再開発が進んでいます。聖ジョージ教会や、ローマ時代の列柱通りや、金色に輝くムハンマド・アーミンなどの見どころもあります。
- 鳩の岩
- 海岸通りから海を見下ろすと、鳩の岩と呼ばれる、海から突き出た巨大な岩が見られます。辺りにはカフェが軒を連ね、ライトアップされた岩を楽しむ人々でにぎわっています。
- ドックリバー
- ベイルートの北、15kmのところにある川です。エジプトとメソポタミアを結ぶ交通路とされており、川の名前は当時、番犬代わりに犬の像が置かれていたことに由来しています。エジプトのラムセス2世が、カディシュの戦いの後、ここを通りかかり、碑文を刻んだ事をきっかけに、ネブカドネザル2世、マルクス・アウレリウス、ナポレオン3世など多くの英雄が碑文を刻んできた場所です。
- ジェイタ洞窟
- ドッグ・リバーのおもな水源となっている洞窟です。天井から100mはあろうかという鍾乳洞がつり下がっており、迫力満点です。ライトアップもされており、とても神秘的な世界が広がっています。
- ハリッサ
- ジュニエはベイルートから20kmほどにある町です。内戦中にベイルートから疎開してきた人によって開けた町です。レバノンの流行の発信基地となっており、首都の洗練されたファッションや垢抜けた雰囲気が漂っています。海岸の国道沿いにはおしゃれなカフェやレストランが立ち並んでいます。ハリッサには「レバノンの聖母」と呼ばれている白亜のマリア像がそびえ、標高600mの山の上から地中海とジェニエの町を見下ろしています。
- ベイト・エッディーン
- ベイルートから南東に48kmの所にある、イスラム伝統建築の集大成といえる宮殿です。50年以上、レバノンを治めていた、エミール・ベシール・エル・シェハービの統治の間、建設が続けられました。1943年、レバノンが独立してからは大統領の夏の宮殿となっていましたが、1983年よりドルーズ軍の統制下に入り、人民宮殿と名づけられ、博物館とカルチャーセンターとして開かれました。
- ダイル・エル・カマル
- 17世紀初頭にレバノンを支配したホッハールディンの居城です。周辺はレバノンで一番美しい街並みといわれており、山吹色、灰色、ベージュが組み合わさった建物が並んでいます。ホッハールディン・モスクや蝋人形博物館となっているシルクハン宮殿なども公開されています。
バールベック
レバノンで最大の見どころであるバールベックは、ベイルートの北東86kmのベガー高原の中央にあります。世界でも有数の大きさと美しさを誇るローマ神殿跡です。フェニキアの豊穣の神、バールに由来する遺跡で、天地を創造する最高神ジュピター、酒神バッカス、愛と美の女神ビーナスに捧げられた3つの神殿から成っています。
- 神殿入口
- かつては幅43mの階段がありましたが、マムルーク時代に石材をしてはぎ取られてしまい、現在は狭い階段となっています。階段の上にはエジプトから運ばれた花崗岩の石柱がそびえ立っています。
- 六角形の前庭
- 入口の階段を上がりきると、フェニキア独自の様式である、六角形の前庭があります。その先は長さ150m、幅110mの大庭園です。大庭園には、ふたつの祭壇、水槽があり、いずれも細かい彫刻が施されています。
- ジュピター神殿
- かつてはジュピター神殿が立っていましたが、現在は6本の列柱のみ残っています。1本の柱は、高さ20m、直径2,5mあり、この柱が54本、長さ85m、幅47mの基壇に並んでおり、かつて立っていた神殿の大きさが良く分かります。基壇自体も高さ3m、重さ800トンに達する巨石がいくつも組み合わさった上に位置しています。
- バッカス神殿
- 入口門の裏側には、ローマの象徴である鷲とヘルメスが彫られています。内壁や柱廊にはギリシア風の美しい模様が施されています。ジュピター神殿よりは小ぶりですが、それでもアテネのパルテノン神殿の大きさを上回ります。
- ヴィーナス神殿
- ビーナス神殿は道路を隔てた場所にあります。3世紀初頭に建てられた神殿ですが、現在、原型はほとんど残っていません。19世紀までは聖バルバラ教会として使われていました。
ザハレ
レバノンの家族連れが週末を過ごす定番の地として有名なザハレは、ベガー高原の中ほどに位置しており、リタニ川に沿って広がる町です。おいしいレバノン料理と涼しく、快適な気候で、観光客で人気のスポットです。
- クサラ
- レバノンを代表するワインの産地で、1974年までイエズス会が運営していたワインの工場があります。ワイン用では世界の6大洞窟とされている、全長2kmの自然洞窟があり、ワインが熟成されています。
アンジャル
レバノンに残る、唯一の城塞都市です。8世紀にウマイヤ王朝のカリフ、リワード1世により建設された夏の宮殿です。列柱通りや四面門など、ローマの様式が色濃く残る宮殿です。
レバノン杉とカディーシャ渓谷
レバノンで最も美しい風景をもつといわれるカディーシャ渓谷はレバノンの北西部にあります。7世紀にロマン派が迫害から逃れ、住みついた土地で、オリーブやリンゴの木が茂る山並みに、教会や修道院が点在しています。
- レバノン杉
- カディーシャ渓谷の標高2000m程の地点にはレバノン杉の群生地が残っています。レバノン杉は国の国旗にもなっており、永遠と高潔を表す、レバノンの象徴です。かつてフェニキア人はこの巨木でガレー船を開発し、地中海の覇を成しました。また、旧約聖書にはソロモン王が宮殿内の床から天井までレバノン杉で装飾したことが描かれています。木目の美しさと腐りにくさで建築材としても多く使われ、この結果、レバノン杉は激減し、今では1200本のみがここの保護区に生えています。
- ブシャーレ
- 画家であり、詩人であったジュブラン・カリール・ジュブランの生地です。彼の遺言により、遺体は町を見下ろす崖の中腹にある修道院に安置され、その後、その修道院は彼の博物館として公開されています。
- エヘデン
- 素晴らしい景色と街を流れる滝や泉、そしてユセフ・バイ・カラムの棺と彫像で知られる町です。ユセフは貴族と農民が相対する内戦中の英雄で、1889年にナポリで亡くなり、1ヶ月後に遺体がレバノンに帰ってきました。何の腐敗処理をしていなかったにも関わらず、その遺体は死亡直後の状態を保っていたそうです。町の高台にある教会にはアラブの伝統衣装を着た彼の遺体が安置されています。
トリポリ
レバノン第2の都市であるトリポリはベイルートの北、約90kmに位置しています。歴史はベイルートよりも深く、フェニキア時代から繁栄してきた都市です。マムルーク朝時代の古い建物が多く残る半面、近年ではモダンな商業施設が次々と建てられ、北部レバノンの中心都市として、工業、ビジネスともに活発な都市です。また、おいしいお菓子の本場としても有名で、町のいたるところにアラブ菓子店が店を開いています。
- セント・ジル要塞
- 12世紀初頭にフランク人の十字軍兵士、レイモンド・セント・ジルによって建てられた要塞です。円天井の部屋や、鉄聖の入口、中庭などをもち、玄武岩と石灰岩でできています。屋上からはトリポリが見渡せます。
- ライオン塔
- 15世紀にトリポリの防衛のために建てられた塔で、非常に保存状態の良い、マムルーク朝時代の建造物です。長方形をしており、塔というよりはマッチ箱のような形をしています。正面には美しい装飾が施されており、中は円天井のホールになっています。
- 旧市街
- 12世紀やマムルーク朝時代の建物が多く残っており、中世の街角に迷いこんだような町です。午前中と夕方のスークもにぎやかで、数多くの歴史的な見どころも多く、狭い通路や石の階段などを歩き回るだけでも楽しい町です。
ビブロス
紀元前3000年頃、地中海交易で栄えたフェニキア人が建てた、世界でも最も歴史の古い都市国家で、ユネスコの世界遺産にも登録されています。世界中で使われている聖書を意味するバイブルはここ、ビブロスから由来しています。ビブロスとはギリシア名でパピルス、つまり書物を表し、この地名が神聖な書物の呼び名となっていることはレバノン人の誇りとなっています。
- ビブロス遺跡
- パルミラやバールベックのような派手さはありませんが、悠久の歴史を感じる味わいのある遺跡です。紀元前18世紀頃に建てられた神殿や、復元された戦士の城、ローマ劇場などが残されています。この遺跡で発見された青銅の兵士群像は、レバノンの国宝としてベイルートの国立博物館に保管されています。
- 聖ヨハネ教会
- 1115年に建てらえた教会で、南壁はローマ様式、北側の壁はアラブ様式と、ふたつの様式が混在する、興味深い教会です。ここで結婚式を挙げることがレバノンの若者の夢だそうです。
- 蝋人形博物館
- 洞窟のような館内に、原始時代から現代までの文化や生活様式を伝える博物館です。哲学者であり、詩人でもあったジュブラン・カリール・ジュブランの蝋人形をはじめ、歴史的な事件や、生活を再現した展示があります。
サイダ
レバノン第3の都市で、南部の中心地です。紀元前12~10世紀にはフェニキア人の都市国家として、トリポリ、パレスチナ、ティルスと並ぶ交易拠点として繁栄し、紀元前6世紀からのペルシア時代には、ペルシア第5州の州都として、黄金期を迎えました。ガラスの産地としても有名でした。故ハリーリ前首相の出身地でもあり、スンニ派が多い地域です。
- 海の城塞
- 海の中に浮かぶ城で、かつては十字軍の海の砦でした。メルカルト神殿が建っていた小島にフェニキア人によって要塞が建てられました。ビサンチン時代にはそこに橋が架けられ、現在では若者たちのデートスポットとしても人気です。
- ハン・エル・フランジュ
- 17世紀にホッハールディンによって建てられたもので、レバノン内外で最も大きな規模で、保存状態の良いハンです。19世紀までこの街の商業活動の中心となっており、広い中庭の周りに巡らせられた2階建ての建物を隊商宿や倉庫として使っていました。その後、フランス領事館としても使われ、今でもフランス政府の所有となっています。
- 石鹸博物館
- 19世紀まで石鹸工場だった建物を利用して、石鹸の歴史や製造工程を紹介する博物館です。シリアのアレッポからパレスチナのナブルスへと連なる地域は石鹸の産地として有名です。
スール
紀元前11世紀に、海上貿易により地中海で最も栄えたフェニキア人の都市国家でした。アレキサンダー大王が、当時、本土と島からなっていたこの海上都市を征服する為、海岸と島をつなぐ道をつくり、7ヶ月後にスールを滅ぼしました。フェニキア時代の遺跡は海に消えましたが、ローマ時代の遺跡は現在も残っています。
- 旧市街
- 町の南と東側にローマ時代の遺跡が残っており、南側には海に向かって延びる列柱通りや浴場、プールなどが残っています。東側には2万人を収容できたという競技場、凱旋門、水路橋などが残っています。